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【代表ブログ】本日TASUCは14周年「ありがとうございます」

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 これからも創る人と一緒に頑張ります 皆様のお陰で、14年間の長い間、TASUCが継続できたこと 本当にありがとうございます。 ご期待に添えないことばかりで、牛歩の歩みです。 TRYFULL(トライフル)では先日、GUに就職することができたAさん。3年間、TRYFULLに通い続け、3月1日から3日間、どうだったかな・・・。心配だな、昔みたいに怒ってないだろうか、暴れてないだろうか、仕事中に余計な携帯画面を操作していないだろうか、心配だな。 シェアハウスを始めました。お互いが支え合い、励まし合い、男やもめだけど、楽しそうに自立生活を送っています。でもまだ食事は坪山さんが作っているし、お風呂は1時間も入っているし、日曜日のノルディックウオーキングは出てこないことがあるし、体重を減らさないとメタボだし、心配だな。 たすくの療育は会員数が増えません。コロナ禍もあるのか、放課後等デイサービスの役割が拡充してきたのか、定かではないけど、もっともっとTASUCアセスメントのような一日をかけてじっくりみんなでアセスメントする機会を増やしたいし、個別の課題学習を1時間、ちゃんと段階を踏んで取り組んでいく機会も増やしたいのに、良いのかな?このままで、いつまで経っても凸凹のある人の才能に気がつかないで、障がい、障害、となるのかな? チャレンジドにこそ、周りが「理解する」時間や、「こうすればうまく行く」という実感が必要なのに、時間的、金銭的コストをかけないで良いはずはないと思ってます。 そんなことを考え続けている気がします。14年間、そしてこれからも。 東京都立八王子西特別支援学校(外部専門員として年間12回通った思い出)

【代表ブログ】共生社会の実現には支援者が最後の砦になる 〜不屈の大銀杏

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令和3年の大晦日の神奈川新聞一面は、再建されたT園の正面エントランス、「多様性」道半ば、の見出しだった。私は8月に現地を訪れたが、ここには19名の犠牲者のうち18本のヤマユリの絵、7人の実名が刻まれていた。事件から5年、遺族らの様々な思いが、この事実から浮かび上がる。 私は、事件の被害者である(Aさん)ご家族に、事件から1年後にインタビューをする機会を得た。ご位牌にお参りをして、しばらく沈黙が続いた後、母親がこう切り出した。「私は地域の親の会の会長をするなど、幼少期の頃から地域で子育てをしてきました。しかし制度も変わり(いわゆる総合福祉法)、親の会の活動も継続には至らず、兄弟の子育てもあって、最重度の子どもの世話を託せる、満足できる機関は、できなかったし、見つけられませんでした。気づけば主人が70、私が65歳の後期高齢者になりました。」 「新しく行政の担当ワーカーになった方が挨拶を兼ねて訪問された際に、ちょうど主人が子どもと入浴をしていました。我が家では‘’日常”のことでしたが、ワーカーは、『ご家族もご高齢になられ、25歳を超えたお子様を‘’入浴介助”をするのは大変でしょう。ちょうどお母様も節目です。T園に空きができたから、入所を検討されては』と、言ってくれました。私たち夫婦は、‘’入浴介助”と言われた時に、ハッとして気づいたのです。そこで、地域の作業所への通所から、T園での入所生活を行うことにしました。」 「朝早く、電話がなりました。駆けつけると、空にはヘリコプター、道路は警察車両が何十台も並んでいるような物々しい雰囲気でした。子どもが亡くなっているかも知らされていませんから、着の身着のままで現地につきました。入り口には複数の知り合いのご家族がいましたが、中に入れてもらえないような人もいて、どうぞと言われた時には、「もしかしたら亡くなったのかな」と覚悟したのだと思います。何度も訪問している施設なのですが、床が血塗りでスリッパでは滑ってしまい歩けませんでした。凄惨な現場だったと思いますが、子どもの所にたどり着くまでのことはあまり覚えていません。 「白い布がかけられていて、子どもかどうか確認させられました。うちの子どもは、障害が最重度で、常にうつ伏せで寝るのですが、その背中を3個所刺されていました。他の犠牲者は、首とか顔とかを切られているのですが、幸いうちの子どもの顔

【代表ブログ】改めて・TASUCでやってきたこと を振り返る

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  2008年「たすくの療育」「アセスメント」からスタート  1)たすくはアセスメント屋さん  やっぱり「たすく」って内からみても、外からみても、「アセスメント」ですね 。  当時は「アセスメント」って言葉に違和感がある、何て人もいて、「レッテル貼りだ」ともされていました。  しかし実際は、「理解が先」を合言葉に、家族をはじめ支援者みんなで「お子さんの凸凹や、困っていることを理解する会」として定着してきました。 2)TASUCを達成するためにはネットワークを広げる  療育って確実に効果があります。行動面は特に改善します。行動面が改善できれば認知(生きる知恵)に取り組みます。 そこでは「意欲や態度、習慣や技術」=「思考力、人間力」を培うために「試す場(流動的なシステム)」を創ることが大切です。もうちょっと世の中は良くなるかと思ったけれど、以前と変わらず、障害者は政争の具です。  だったら創ってしまえ!が創業の理念です。  事業家として事業を創造する。 ☝メンバーたちは「思考力、人間力」を磨き、私たちは「試す場」を創造する。  だからTASUCとしてエリアを広げることで総合力を上げ、TRYFULLや社会福祉法人宝もの  を中心に試す場を創造する環境を築いていく 一貫性と継続性のある支援体制 を築く Ⅰ.TASUCグループ(ブランド)一覧     *1たすくの療育(個人別の課題学習・児童発達支援・放課後等デイサービス)   *2自立の学校(放課後等デイサービス)   *3TRYFULL(自立訓練・就労移行支援)   *4 社会福祉法人宝もの (生活介護・相談支援・共同生活援護等)   *5TASUC(専門支援機関コンサルテーション)   ☝上記の1〜5が10年の実績と体験を経て確立しました。   全部必要ではないですが、長い人生を支える気が無ければ   TASUC(一貫性と継続性のある支援体制を築く)ではありません。 2020年代「試す場」を創造する 2020年代「人財」を創造する 2020年代「メソッド」を創造する  1)“メソッド本”を中核として、OJTを同時並行で用いながら、技術者を養成する       *1児発・個別の療育・放デイ【たすくの療育8】   *2放デイ【自立の学校の“自ら学習し、自ら運動し、自ら

【代表ブログ】創る人と創る・都立高における通級による指導

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  私たちは、常に新しい事に挑戦することを信条としています。 古いことはやりません。今あることは手伝います。 「創る人と創る」を信条にしています。(TASUC株式会社ナビゲーターより) さて、今日は「都立高における通級による指導」について、まとめましたので、その紹介です。 多くのニーズが寄せられる中、事業者が3社選ばれ、都教委、都立高、都立特別支援学校などとタイアップしながら、自立活動を中心としたテクニカルマニュアルを創造しようと思っています。ガンバリます! 東京都立高等学校における通級による指導に関わる外部連携事業者の取組 齊藤宇開( TASUC グループ 代表)   はじめに 東京都は、 2021 年度(令和 3 年度)より、全都で東京都立高等学校(以下、「都立高」という)の、通級による指導(以下、「通級指導」という)を開始した。 すでに全国の高等学校では、様々な工夫を凝らした施策に基づく通級指導の実践が行われているが、ここでは東京都の特徴の一つである「外部連携事業者」の活用という試みを中心に報告する。 なお筆者は、指定された事業者のうちの一つ「 TASUC 株式会社)」の代表を務めている。   1. 東京都における通級指導の枠組み ( 1 ) 都立高における 通級指導に係る連携事業者の活用  東京都教育委員会は、通級指導に係る連携事業者の活用について、「都立高における発達障害教育の充実を図るため、令和 3 年度から、どの都立高に進学しても、発達障害等のある生徒が、特別な指導を受けられる環境を整備し、その際、通級指導を受ける生徒が在籍する都立高の教員と、発達障害等のある生徒への指導経験のある外部人材とが、ティームティーチングの形式を基本として、指導の対象となる都立高校生に対して、通級指導を行うこと」としている。 また、連携事業者募集要項によれば、連携事業者とは、都立高における通級指導の円滑な実施にあたって、発達障害等のある都立高の生徒の自立と社会参加を支援する東京都教育委員会の取組に賛同し、連携する民間の事業者としている。 ( 2 )対象生徒 以下の①から③を全て満たす生徒  ( ②③は小・中学校特別支援教室と同じ ) ①都立高又は都立中等教育学校後期課程に在籍する生徒  ※ 全日制・定時制・通信制や、学科は問わない ②知的障害がなく、発達障害等 ( 自閉症、情

【代表ブログ】発達に凸凹のある本人の家族のために起業家になろう!

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障害のある人を支援する社会起業家になろう!  これからも国がリードしてお金を配り、それで何とかするの?   13年経って、たすくの療育方法は体系化が進んでいます。お陰様で教室は北海道でも九州でも維持できていますし、学校へのコンサルテーションも継続できています。  しかし、起業家精神は、このコロナ禍で後退しています。「無いものを創る、有るものは手伝う」が信条ですが、最近は創るより手伝いが多いなあ。  障害のある人の支援環境は、昭和の時代から仕組みは大きく変わっていません。国がリードしてお金を配り、それに上手く群がって何となく支援する構図です。  本当に「生活の質」が向上しているとは言えません。 様々な問題が山積しているのに・・  その証拠といえば、代表例は、障害者雇用率「2.3%」です。パラリンピックで15%という数字が出たのは記憶に新しいのですが、僕はもう少し謙虚に10%としましょう。  障害は身近なところにあります。自分が障害者になることだってあります。にもかかわらず10%?と感じてしまうのは、彼らが身近に姿を見せないからです。大きな入所施設には何千人もの障害者が居ることもあります。数百人はざらで、そんな入所施設は数千もあるのです。  それでも障害者が1000万人日本にいるのだから、もっと身近でも良いと思います。それは彼らの行動範囲です。町に出て行かれないのです。皆さんの通っているスーパー、車椅子、入れますか? 上手く話せなくても、字が読めなくても買い物できますか? もっと言うと、蛍光灯の光が痛いから電気を消してくれって言ったら消してくれますか?  これじゃ、障害者は身近に感じることができません。 障害者から近づく努力をしている  なら、ってことで、パラリンピックでは障害者が堂々とテレビに出てくれました。しかも抜群のパフォーマンスで魅せてくれました。足が無い、手が無い、火傷してる、など、子どもたちはテレビを見ながら会話して、最後は「スゲーなこの人たち」ってことになりました。オリンピックとは比べられないインパクトでした。  同じように療育をします。「療育なんかいらない!」とかいう本は題が良くありません。障害者から近づく努力をするのは潔い取り組みです。僕らは主体的に近づく努力を怠りません。 仕組みづくりのために起業する  さて、僕は今のところ、10%に入っていません。

【成人式】発達障害のある人や子どもたちの社会参加を!一緒にやらないか

 2浪していたから、成人式には出られなかった。 都立三鷹高校でラグビーを12月までやった。 ベスト16で明大中野に73−0で負けた。明大中野は花園で京都東山に負けたが、なぜ負けたか分からないくらい、全く歯が立たなかった。 1浪時代は高校の勉強を全部、見直したような時間だったが、ベビーブームで予備校生だらけ、予備校には愛も敬意も無かった。ふてくされて大学受験を辞め、仕事を探したが、結局、教育をやりたくなって教員養成課程を探したら、偏差値が伸びた。不思議な感覚だった。 つまらない暗記だけの受験勉強も、手段だと思うと励めるんだな。 北海道教育大学の函館校に拾ってもらって、その後、大学院の修士課程でわざと1留した。 障がい児のサマースクールをやりたかったからだ。 「障がい児の放課後や長期休み、保護者とだけの日々は地獄です。」 そんな時代だった。 神戸の震災もあって、ベビーブームの劣等生たちは、社会の矛盾に敏感だった。 活躍できる場所を、探していた。 僕は成人式には出られなかった。 でも今のコロナ禍の若者に比べれば、大したことない。 僕には確かに、誰かのために命を懸けることが、自分の使命だと薄々感じていたから。 君の優しさ、勇気、正義を、もう一度、見直して、世界の人々への貢献を考える。 集え、若者たち、 大きな社会問題である、発達障害のある人や子どもたちの社会参加を! 一緒にやらないか

【代表ブログ】「診断前の支援」が大切だと思う

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  自分が子育ての中心だという自覚と選択眼を早期に! 生半可に充実した支援。「間接的な差別」が蔓延っていながらも誰も行動しない。それぞれがそれぞれの役割を担い、行動すれば何かが変わるかもしれない。 10歳年上の60歳の恩師。J☆sKeps™アセスメントの命名者である德永豊氏にお話を聞いた。 保護者のメンタルと子育ての状況は、むしろ悪化しているのではないか。発達障がいの概念は広がり、ネット上に情報があふれ、不安はむしろ助長されているのに、結果的に増大した「障害」の診断待ち。 医師は言う、診断前の支援が必要だ。 診断前の不安を抱える保護者に対して、何が必要か。先ずは「自分が子育ての中心だという心構えと、選択眼だ」 私たちができるのは、その一翼を担うこと。様々な専門家を用意して、その専門家の話を聴く。決して偏らない芯の通った専門家だ。複数の専門家でチームを作る「頑固オヤジや、お節介ババア」 障害では無く、病気であるから改善が期待できることを知る 障害では無く、病気だと言った方がマシだ。むしろ「うつ病」だと言った方が治るかもしれないという気持ちになる。 「治る」と思うためには「病気」という定義が必要かもしれない。子どもを「障害者」としてみないで、困っている子どもを支援していく、そんな当たり前の話が特別支援教育だ。その困った状態に併せて、それぞれに対応していく、それが大事。「障害」だと決めてしまえば、何もかも諦める気持ちになって、特別支援学校に、誰も彼もが向かってしまう。 つまり、発達障がいが治るわけでは無く、病気症状が改善していくという立場だ。